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2016年3月11日

被災者の端くれが考えること

長年仙台の病院に勤務しており、DMAT(災害急性期に主に被災地内で救命活動に携わる医療チーム)の一員としてトレーニングを受けていました。

しかし、当時、我々が想定していたのは宮城県沖地震。
訓練や災害発生時の初動体制も阪神大震災での問題点をベースに構築されており、一気にたくさんの方の命をあれほどまでに津波が奪ってしまう、とは誰も想像できていませんでした。
東北では津波はリアス式海岸地域(女川以北の地域)のもの、という認識が皆強かったのではないかと思います。

現実は人間の想定外をいつも生み出します。
それほど人間の知識や想像力というのはちっぽけなものなのだと、思い知らされました。

仙台市内も内陸地域は建物の倒壊等は少なかったものの、ライフラインが比較的長期にわたって途絶えてしまい、その生活は非常に辛く、早く「普通」の生活がしたいと切望しました。

それは医療においても同じで、病院は機能が制限されてはいましたが、スタッフも患者さんも早くいつもと同じ医療を提供したい/受けたいという思いは震災数日後には湧き上がっていました。

この「普通」であることの幸せ・大切さをこの時ほど痛感したことはありません。

幸いなことに自分も含め私の周りの方たちは住宅の被害のみで、皆元気でしたが、ご親族・お友達を失った方たちはあの日を境にそれまでの「普通」を失ってしまわれたわけで、その心に「普通」が戻ってくるのにはとてもとても長い時間が必要なのだろうと、察します。

我々の身の回りには災害はもちろんのこと、事故や事件など、突発的に「普通」を奪うものがたくさんあります。
いつも「想定外」に振り回される現実の中で、自分自身で準備できることは限られてはいますが、できるだけリスクから遠のくことができるように、問題ができるだけ小さく収まるように、日ごろから意識を高めていきたいと、改めて感じました。

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2 件のコメント:
dabo_gc さんのコメント...

仰るとおりですね。
私も今日は東日本大震災のことをいろいろ考えていました。そして幸せってなんていとも簡単に壊れてしまうのか、と。
毎日夫婦・親子喧嘩ばかりしている私達ですが、これが幸せなんだと見えないものに感謝したいと思いました。

ricoyon さんのコメント...

コメントありがとうございます。
こういう区切りの日は亡くなった方への追悼ばかりではなく、生きている者たちが生きていることを自分なりに自覚する日になればいいなあと思います。

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